ふわふわblog

今井さんが大好きで、滝沢さんは大切な人です。

タッキー&翼、解散について(滝沢さん編)

知ってましたよ。貴方がときどき(事務所的には言ってはいけない)本音を言う時があって、それは10代の時に、ジュニアが単独でコンサートをやるようになった時期だったと記憶しています。貴方は「なんかもう、歌ったり踊ったりしたくないな」と確かに言いました。

 

プロレスラーになりたくて、問い合わせの電話をするくらい、行動的な子供だった、貴方は、幼い時から人に頼らない自立した子供だった。多くの人が、他薦で入所するJ事務所に自分から履歴書を送ったのも特異だと言える。オーディションの時には受かりたい気持ちで自分なりに精一杯頑張ったはず、物に釣られたり、家族に頼まれて参加した(若干やる気のない)多くの子供達とは違っていたに違いない。
その時には、すでに広い視野で状況を把握する能力を持っていた。何も考えずに参加していた今井さんを見て。本人ではなく、周囲の大人の反応で「こいつは絶対受かる」と感じた観察眼は伊達ではない。

 

最初から特別扱いだったけど、スターではなかった時、貴方は楽しそうに仕事をしていた。母子家庭が特別ではなくて、心を分かち合える仲間と出会って、はしゃぐ貴方をちょっと離れた位置から眺めた。爆発的人気で時の人になって、そのパブリックイメージが一人歩きすることを貴方は不快に感じていましたね。「(自分は、可愛い年下の男の子じゃない。そんなふわふわした存在じゃない。人の言いなりになったりしない、自分は漢だから!頑固で扱いにくいから、そんなイメージで接したら幻滅するよ)皆俺に騙されてる」的な表現をしていた。化粧を拒否するくらい男のイメージに拘った。一方で男子トイレでは女の子に間違えられていたけど。


ちょっとお家の事で揉めた時期もあって、高校生で一人暮らしを開始して、随分早くに一人立ちした貴方の部屋はジュニアの貯まり場になっていた。その当時はたぶん、早く大人になりたかったのかな。ジュニアのリーダーを任されて、ちょっとしんどい時期もあったけど、一番堪えたのは、親友が起こした事件だろう。今考えれば、大人に利用された子供達が不憫ではある(つまりは女の子を呼び寄せる餌として利用された)。上手い話には裏があるし、ホイホイついていったのは、いくら子供でも社会人としての自覚がないし、ばれなければ何をしても良いとか、考えが甘いから、どう考えてもフォローは出来ないし、解雇は妥当だった。仲の良かった子達が事務所を去った。当時は彼も参加していたのではないかと白黒はっきりしなかったけど、ちょっと潔癖気味の翼くんが滝沢さんを信じたあたり、今となっては彼は参加してなかったと信じることが出来ています。自分は悪いことをしていないのに、謝らなければいけないのは堪えたと、大人になってから話していた様な気もする。
あのMステ、滝沢さんの目は死んでいた。さすがに同情した。

 

そんな事があった後、「なんかもう、歌ったり踊ったりしたくないな」になった訳ですが、その頃には、自分が演者として成功したいという気持ちはなくなっていた様に感じます。


MAIN辺りの後輩達を使って、ドラマを撮ったり、裏方の仕事に興味を示して、自分の部屋をスタジオがわりに、機材を揃えたり、そんなことを始めたのもこの辺りかも。
作詞作曲も始めたし、生歌に拘って、自室にカラオケルームを作ったりもした。ジュニア全体のスキルアップを考えたり、プロデュースしたい気持ちが芽生えたのも、この辺り。

 

嵐がデビューした後は「もうずっとジュニアでいい」とデビューを放棄する発言もした。これはジャニーさんにyouはデビューさせられないと言われたから、かもしれないけど。

 

デビューを意識したのは、J事務所に入った時、キンキキッズみたいなグループでデビューするのが夢だったことを思い出したんだよね。それが自分のやりたいことだって。

 

それでタキツバキャンペーンして、夢が叶った時は本当に嬉しそうだった。
デビュー曲に関しては「気持ちが伝わってこないって言われた」と、ちょっと悩んだりもした。そして二人のデビューは必然的に上手くいかなかった。

 

時の人になるということは、その時代を代表する人になると言うことで、ブームと言うのはもって3年。「まだ、タッキーが好きなの?」とか、世間の人は『時代遅れだ』という反応をする。だから、デビュー当時、足を引っ張ったのは、むしろ滝沢さんの方だった。本人何も悪くないけど。

 

その上、二人のやりたいこと、得意とすること、魅力は、方向が違う。がんがん踊りたかった翼くんは「やれば出来るんだから滝沢にダンスを頑張って欲しい」と思っていたと思う。たぶん、滝沢さんはちょっぴり歌が苦手だった。滝沢さんが主旋律だったのは、副旋律だと釣られちゃうからというのも理由にあったはず。逆に、翼くんは作詞作曲などの創作活動が苦手。
余談だけど、滝沢さんの作詞をみれば、彼が案外素直な人なのがわかる。創作活動は内面を反映する。作ったものは嘘をつけない。

 

その後のタキツバは細々とだけど、コアなファンに支えられて経過した。その間、翼くんは自分自身のスキルを磨くことに努力した(タレントとして一般的な姿勢です)。そして、滝沢さんは、別にベンチで生まれなくても、もうずっと異質なタレントだった。だって、自分自身に興味がないんだもん。こんな仕事がしたい、ドラマに出たい、映画に出たい、舞台をやりたい、そんな希望も野望も欲望もないのに、周囲に勧められて、ソロデビューもしたし、ソロコンサートもした。一番最初のソロコンサートの時、貴方は会場でこう言った「一人で歌うと、タッキー&翼の曲じゃない。正直ソロコンサートはもういいかなって」。私は思った「それ言っちゃいけない奴だ」。
でも、やると決めたら、皆さんを楽しませるために全力を尽くす。それが漢、滝沢だから。タキレンジャーは楽しかったし、滝沢さんのソロ曲、特にシャララは、華やかでゴージャスで滝沢さんの魅力が良く伝わる素晴らしい楽曲だと思う。ケンタッキーも爽やかでジャニーズらしい良さが感じられる、二人の魅力が伝わる曲だと思った。翼くんが入ったら、重たくなっちゃうもんね。翼くんの歌うシャララはリズムが素晴らしいけど、キラキラ感とか華やかさとか軽やかさは消えちゃうんだ。同じ曲なのにね。それでも、歌うからには真剣に自分の曲になる段階まで、歌い込んだ翼くんに、楽曲や歌い手に対する真摯さを感じるから、つまりはリスペクトしてなきゃ歌えない、そういう所がすごく好き(すみません脱線しました)。
ディナーショーについても貴方はこう言った「ディナーショーは出会いの場でもあるから」。・・・別に滝沢さんに場を用意してもらわなくても、ファンは勝手に交流する。ああもうそんなこといいから、少しは自分の事を考えてくれ。

 

そんなこんなで、今回の決断は、周囲やタキツバが、滝沢さんを表舞台に引きとめていたんだけど、その枷が外れて、滝沢さんが本当にやりたかったことに従事することになった、めでたい出来事なのかもしれない。

 

あくまで理性的に判断すればね。